器の少ない男

うつぎ窯の大皿にヤリイカとツブ貝の刺身を盛りつけた 本日の一品
手前が「森羅」。奥の中皿が「万象Ⅰ}。ぐい飲みは「ビコーズアイムフリー」。刺身はヤリイカとツブ貝。日本酒は息子が誕生祝に送ってくれた静岡の地酒である。

中身を満たす方が先だったが

「器の大きい人」という言い方を、時折耳にする。もちろん、人間としての度量、器量を指している。決して、持っている食器の大小の話ではない(それを言うなら、私だって大きい器を少しはもっているから、器の大きい男である)。ところで、私は持っている食器が少ない。つまり、「器の少ない男」である。もともと、グラスは飲めればいいし、食器は食べられればそれでいいという趣味に乏しい発想、いやそれ以前に、実のところは、中身を満たすのに手いっぱいだったのである。それゆえ、たまに旅館や料理屋でいい器を目にすると、「やっぱり、気分が違うな」などと思う程度だった。

ところが、先日のブログ「遠くへ行けない」にも書いたように、九州の天草(牛深)で「うつぎ窯」の主に出会い、その器をいくつか入手した。これに愛着がわいた。普段の食事が、実にいい気分なのである。そうなると、もっと欲しくなる。そこで今回、新たにぐい飲み3点、大皿1点を購入した。うれしいことに、ぐい飲みは桐箱入りで送っていただいた。それを並べてしばし悦に入っていたのだが、ふと「銘をつけよう」という気になった。

自由気ままに連想ゲーム

わが「ぐい飲み3兄弟」。
わが「ぐい飲み3兄弟」。照明のせいで、自然な色に写っていないのがちょっと残念。

頭をひねった挙句、写真左から、「ビコーズアイムフリー」「帰雁」「天藻」と名付けた。ビコーズ…は映画「明日に向かって撃て」に使われた「雨にぬれても」という曲の中の有名な一節でもある。いかにも自由奔放な形から、連想した。帰雁は直感的に、天藻は肌の色が藻を連想させるのと天草とをかけた。大皿は深みのある姿から「森羅」。以前に買ったのが、この大皿と同じ肌合いでやや小さい角皿3枚だったので、それらはもちろん「万象Ⅰ・万象Ⅱ・万象Ⅲ」である。さらに牛深で買った丸い大皿は、「牛深の月」とした。

最近では「今夜は森羅に刺身を盛りつけ、ビコーズアイムフリーに越後の鶴齢を注いで飲もうか」なんて、他人が聞いても意味の分からないことを、にやにやしながらつぶやいたりしている。ところで、このぐい飲み3兄弟にふさわしい片口がない。「うつぎ窯」さんは今、秋の新作を構想中らしいので、作ってみてはくれないだろうかと思っている。

コメント

Translate »