突然、マイノリティに

本日の一品

ノーベル賞作家の短編集

連休明けで仕事に気持ちが入らないとか、コロナ禍で気持ちが落ち着かないとか、そういう言い訳をしてもいいのだが、このところ、どうも仕事に身が入らない。だいたい五月は調子が良くないのである。もしかしたら、学生時代の昔から現在まで、40年ほど「五月病」にかかっていたのかもしれない。あり得ないことではない。何しろ私は最近まで、無自覚な「生涯一書生」だったのだから。

さて、連休中に少し読書をした。書店で久しぶりに岩波文庫の棚に立ったら、『ジャンプ』という本が目に飛び込んできたのである。ナディン・ゴーディマ著。1991年にノーベル文学賞を受賞した女性作家。南アフリカに生まれた白人女性。同国で一貫して人種差別を批判し続けてきた。これらすべて、その時初めて知った。まったく、知らないことばかりで、自分でも毎度呆れてしまうのだが、その分知る喜びも新鮮である。

抑圧に無自覚な社会

短編小説なので、比較的早く読めた。何といってもすごいのは、著者が白人の女性、つまり体制の中で優位にある者でありながら、その優位にある者たちの不安や矛盾(もちろん残酷さも)に対して、鋭い視線を向けていること。最初の短編「隠れ家」では、裕福な中年の白人女性(つまり抑圧者側)が、ある白人の反体制派の男性と情事に陥る。女性はもちろん、男性の正体を知らない。警察に追われている男性の視点で描かれているのだが、女性に対する警戒感、欲望、罪悪感、安心感など、複雑な感情が簡潔な文体ながら実に細かく描かれていて、ドキドキしながら読み進んだ。もちろん、黒人を主人公に据えた小説もある。

読み終えて思ったこと。この著者はマイノリティであることの恐怖、そしてその恐怖から人がどのように変わってしまうかについて敏感なんだ、と。たとえば「体力づくり」という短編では、白人男性がうっかり黒人のスラムに迷い込んでしまう。彼の突然マイノリティになった恐怖と、常に黒人が白人に抱いている恐怖が、対置して描かれている。日本人で日本にいると、マイノリティになる経験が少ないので、この恐怖を感じずにいられる場合が多い。だが、今の状況でもし突然コロナにかかったとしたら? 感染に気づかずに帰省したり、飲んだりした人たちが、後に感染が判明して、ネットやリアルでひどい攻撃を加えられたのは、つい最近のことだ。今のコロナに対する不安には、「もし感染したら、回復しないかも」という不安だけではなく、「他人から攻撃されるかもしれない」という抑圧への恐怖が含まれているように思う。「抑圧に無自覚な社会」は、南アの白人が黒人に対してそうであったように、弱い人に残酷なのである。

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