背中で語るほどではないにせよ

空を見る男の背中 酒場物語
背中で語れる男になりたいが、ろくなことは言わない気がする

夕暮れのバーカウンター

いつものように札幌駅のガード下の「ダーウィン」のカウンターにいた。時刻は18時か。まだ、窓の外が薄明るい。「他人が一生懸命働いているこういう時間から飲むのが、うまいんだよね」などと、カウンター越しに女性バーテンダーに話しかける。相手は働いているというのに、ダメな客である。まあ、そういうダメさも許してくれるのが、この店のいいところだ。この店が6月の下旬に北海道新幹線の工事のため、移転せざるを得ないのはいかにも惜しい(移転先は未定)。

隣の席には大学生らしい若い男性がいて、その隣にさらに30代の会社員の常連男性がいる。二人は今日初めて隣り合ったらしいが、会話が弾み、どうやら常連さんが若い彼にウィスキーを薦めたようだ。若い方はウィスキー初心者らしく、「ウィスキーにオレンジジュースなんて、邪道だと思っていましたが、意外にいけるんですね」と感激しきりである。なるほど、うまい薦め方をしたものだ。甘くしたのではなく、苦手な人にも変化球でうまくなるのだと教えたらしい。

大学生は「社会人になったら、ウィスキーも飲めるようになりたいです」と言いながら、店を出ていった。東京の会社に就職が決まっているらしい。彼の前途に幸多からんことを、酔っ払いの一人として心の中で祈った。

それぞれの後ろ姿

常連さんは「俺も中年オヤジになったなあ。若者にウィスキーを薦めるなんて」と、ぼやきとも嬉しさともつかない表情でつぶやいた。すかさず、カウンターのI店長(こういう瞬間を逃さない)が「僕も37歳になりましたけど、こちらのお客様とか大人の人にずいぶん鍛えられました」と、私の顔を見た。まあ、私は今年還暦で、I店長が新人の頃から知ってはいるが、鍛えた覚えはない。

常連さんは「かっこいい飲み方って、なんでしょうか」と、私の顔を立てて聞いてきた。

「一つだけ挙げるとすれば、背中を綺麗にして飲むことかな。語るほどではないにせよ」

これは本音である(それにしてもこんなことを言うとは、私も年を取った)。30年ほど前、あるピアノバーに上司に連れて行ってもらったのだが、そのカウンターに50がらみの男性がいた。顔はわからない。ただそのすっと伸びた背中は端正な力強さを発していて、テーブル席にいた私は目が釘付けになった。あれほど静かで美しい後ろ姿を、いまだに見たことがない。

常連さんは「深いですねえ。僕も背中を伸ばして飲みます」と、ほほ笑んだ。かわいいものである。最近、『全体主義の時代経験』(藤田省三著作集6)の前書きで知った、小林祥一郎(「太陽」の編集長だったらしい)という人の一句。

それぞれに後ろ姿や秋の暮れ 

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