ゆく川の流れは絶えずして

リオーネ・デイ・ドージ サリーチェ・サレンティーノ・レゼルヴァ イタリアの安旨ワインです 日々のかけら
リオーネ・デイ・ドージ サリーチェ・サレンティーノ・レゼルヴァ イタリアの安旨ワインです

緊張感のある夜

コロナ禍の最中ではあるが、先日、師匠の事務所をお訪ねした。時あたかも、政権が検察幹部の定年を勝手に延長できる「検察庁改正法案(内閣特例バージョン)」が、強行採決されるか、されないかという緊張した夜であった。テレビ報道を聞きつつ、持参したビール、ワイン、チーズ、その他を賞味しながら(師匠は有難くもワイン、ピザ、フランスパなどンをご用意下された)、現代日本における政治的意思決定の不合理について、その原因をひとしきり探ったのであるが、単に「首相が法治主義を理解しておらず、呆治主義に陥っているから」という以上の分析はできなかった。

さて、その後はポストコロナの社会動向などの崇高な話題というよりは、「新しい生活様式なんて言って、生き方を国に決められたくないよな」という、夏目漱石流の自分本位、あるいは個人の尊厳と思想の自由についての話になった。師匠曰く「パンデミック関連の本にも飽きたので、いま加藤周一の『日本文学史序説』を読んでおるのだが、そこにいい指摘がある。鴨長明の『方丈記』は疫病や貧困が蔓延する中世末期に書かれた。悲惨な世の中の有様を、冷静にじっと観察し続けた成果というんだな」。

古典への冒涜に…

そして言うには、「弟子よ。鴨長明の生きた世は、今の日本そのものではないか。お前もこのコロナ禍から距離を置いて、じっとこの日本を観察するがよい。きっと後世に残るルポルタージュが書けるはずだ」と。何とも有難いお言葉である。

しかし、私はこう言ってしまったのだ。「師匠、すると何ですか。出だしは、行く女の流れは絶えずして、元の女にあらず。流れに浮かぶ女たちはかつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし、と」。師匠しみじみと答えて曰く。「オレのことか?」。その晩もワイン2本は空いていました。

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