ディープな飲み屋街にある「ぼんてん」
その夜、二軒目に行ったのは、すすきのゼロ番地にある「ぼんてん」だった。ゼロ番地とは、すすきの市場の地下にある知る人ぞ知るススキノのディープな飲み屋街。一本の細い通路の両側に、小さな飲み屋、スナックなどが軒を連ねている。
「ぼんてん」の女将は二代目。先代女将の店を店名、常連客そのまま引き継いだ。港町・留萌の出身だから、生きのいい魚が食べられる。が、私はこの店で食べたことがほとんどない。というのは、いつもここに連れて行ってくれる師匠(先代女将からの常連だ)が、何も食べずに、ひたすら飲むタイプだからである。なぜかというと、ご本人曰く「人を食って、生きているから」だそうである。 だが、先日、女将にごちそうになった(3連休の前夜だったので、鮮度の落ちそうなものを私に食べさせてくれた。何だかダメな客みたいだが)こともあり、その晩は造りの盛り合わせを頼み、私一人が食べていた。ヒラメ、ソイ、ホタテ、マグロ。マグロも冷凍ではなく生といい、すべて新鮮、うまい。 客は師匠と私、30代の男性の3人のみ。まあ、カウンターのみ7席ほどの店だから、ちょうどいい。
「俺、すい臓がんなんです」と男は言った
そう思っていたら、がらりと引き戸を開けて、体格のいい男性が一人、入ってきた。「ママ、●●だけど、憶えている? もう看板かもしれないけれど、一杯飲ませてよ」 そう言うと、隅の席にどっかりと腰を下ろした。彼は問わず語りに、「今、後輩たちと三軒行っての帰り。彼らはあと一軒、お姉ちゃんの店に行くんだが、俺は行きたくないので、ここに来た」。 どんなお仕事を、と初対面だが、私が聞くと、北海道の東端の観光地にある有名ホテルの総料理長だそうだ。東京に自宅があり、10年くらい単身赴任で往復生活をしているという。
「実は俺、すい臓がんなんですよ。ステージⅢの末期。かなりやばいんだけど、もういいかなって思っている」そういいながら、タバコに火をつけた。 彼は50代後半に差し掛かったところで、偶然にも私と同い年だった。再婚した相手の連れ子が二人、どちらも娘だが、一人前の社会人になったのだという。「それでもう、俺はいなくても大丈夫と。子供が育つと、何かをやり終えた気になるもんだな」 その気持ちは、私にもよくわかった。やはり二人の子供が、去年ほぼ同時期に社会人になったから。
私はまだ、死を意識してはいないが、いずれそういう覚悟が必要になる。焼酎の炭酸割を立て続けに三杯飲むと、彼は風のように去っていった。命に拘泥せずに酒を飲み、タバコを吸う。酒飲みは、かくも無頼でありたい。
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