飽きのこない酒肴

本日の一品

決して飽きないつまみとは

酒のつまみに何がいいかというのは、酒飲みにとって永遠(?)のテーマである。「ビールなら枝豆、日本酒は塩辛、赤ワインだったらブルーチーズだな」などとよく思うが、同じものを食べ続けても飽きる。ところが、決して飽きないつまみが、私には一つある。漢和辞典だ。

「あなたはヤギ?」と言われそうだが、もちろん食べるわけではない。大先輩の昔話では「敗戦後間もないころは、煙草の葉をまくのに辞書を破いて使ったものだよ」とか、「それには三省堂の英和辞典が一番よかった」などと聞いた記憶もあるが、それとも違う。私の場合、酔っ払うと読みたくなるのだ。国語辞典や英和辞典では、酔いがさめる。漢和辞典に限る。

たとえば、今なら「月」とか「芒」。そんな簡単な漢字でいい。それを引いて、熟語を一つずつ読んでいくのだ。すると、たとえば「月白、風清」(つきしろく、かぜきよし)という蘇軾(蘇東坡)の詩の一節があり、「月は白く輝き、風はすがすがしく吹く」と解説がある(このくらいなら、解説などなくてもいいが)。こんな一言を知っていれば、たとえばススキノで酔って帰る途中に、ネオンの向こうを見上げて、「月白く、風清し」などと、つぶやいてみたくなるではないか。たとえ現実の風は、食べ物と脂粉の匂いを濃厚に含んでいるとしても。

文人気取りにすぎるか

「芒」には「芒芒」という熟語がある。「疲れた様、ぼんやりした様」だとか。「芒芒然(ぼうぼうぜん)として帰る」と、孟子の一節が引用されている。ススキノで飲みすぎて、芒芒然として帰ることのいかに多いことか。 電子辞書全盛の昨今でも、紙の辞書にはまたいい味わいがある。それは同じページの別な字に目が行くこと。

私の持っている辞書では、この「芒」と同じページに「花」がある。引用例は王維の詩だ。「花枝欲動春風寒」(かしうごかんとほっして、しゅんぷうさむし)。「花の枝はもう開こうとしているが、春風はまだ冷たい」。早春、ふと桜のつぼみを見て、こんな言葉が口をついて出たら。文人気取りにすぎると言われそうだが、私はそんな春の風景を想像しながら、酔っ払う。

ただし、これは独酌の時に限る。昔、子供が小学生か中学生の時にやったら、しかも時々声に出して読むので、嫌われてしまった。周囲には、迷惑な飲み方でもある。

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