人類の晩年を素直に暮らす(函館、ギャラリー村岡)

私が愛したお酒たち
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朝日新聞の記事から

私は朝、新聞を読まないと、頭が働きださない(まあ、働きだしたところで、たかが知れているのであるが)。それも、浮世の情報を得るというよりも、いい言葉に出会いたくて読んでいる。その意味で、朝日新聞は役に立つ。

一昨日(8月10日)のことであるが、道内面の「北の文化」欄に、あのギャラリー村岡の店主、村岡さんの文章が掲載されていた。あの、と書いたのは、「あのウィスキーをもう一度」というこのブログの拙文で、村岡さんの思い出を書いたからである。タイトルは「教会群と、風土がはぐくむ工芸品」。

この村岡さんの文章が、実に味わい深いものだった。そもそもこのコーナーは、いろいろな人が登場して、自身の仕事や越し方を語るというものだが、村岡さんの語る函館の景色、歴史、人との交流は、長い時間が醸したふくよかな香りが漂っていて、本当に心地よいものだった。そう、まさに琥珀色のウィスキーのように。

その文章はここにアップしたので、ぜひご覧いただきたい。なかでも私が気に入ったのは、村岡さんが赤瀬川原平さん(村岡さんにとっての師匠らしい)から贈られた次の言葉だ。「人類の晩年を素直に暮らせ」。

朝日新聞2019年8月10日 朝刊(道内面)

精神の貴族にしかできないこと

私たち一人ひとりの晩年は、そのまま人類の晩年でもあるだろう。その個人的であり、同時に普遍的でもある晩年を、素直に暮らす。素直にというのは、シンプルに、自分の本来性にしたがって、ということだろう。暗黙の次元の知恵に満ちた、実に賢明な言葉ではあるまいか。「小人閑居して不善をなす」という言葉があるが、閑居は不善に陥りやすいのである。晩年は閑居して、いや閑居できるからこそ、素直に暮らす必要がある。もう、小さな欲にとらわれて、あくせくしてはいけない。己と人類の運命をじっと見つめることだ。

それは精神の貴族にしかできない、高度にストイックな知の営みだと思う。村岡さんには、確かにそれがある。だからこそ、赤瀬川氏はこの言葉を贈ったのだろう。私もそろそろ、その準備ができるといいのだが、飲みたい欲と話したい欲から、まだまだ自由になれそうにない。

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