水俣の海、魂の不在 

旅のかけら

石牟礼道子さんの言葉に、水俣病資料館で出合う

数年前に石牟礼道子の『苦海浄土』(全三部、藤原書店)を読んで以来、水俣の海を見たいと思い続けてきた。ようやく先月、九州を旅行したおり、水俣を訪れることができた。最初に行ったのは、水俣病資料館。たまたま石牟礼道子さんの追悼展をやっており、彼女の写真や著作、その言葉がパネル展示されていた。常設展示にも見るべきものはあったが、やはり石牟礼さんの言葉をこの場所でじっくり読めたのは、うれしかった。

いま改めて『苦海浄土』(全三部)を開いてみる。1000ページを超える分厚い本だ。第一部『苦海浄土』の出版が1969年、『天の魚』が『続苦海浄土』として1974年に、そして2006年に『神々の村』が出た。それらを一冊にまとめ、『天の魚』を第三部、『神々の村』を第二部として、全三部の完成をみた。半世紀にわたる偉業である。

この本に出合った時、これまで私は「魂」を知らなかった、と思った。もちろん、以前から河合隼雄の本(『影の現象学』や『中年クライシス』など)は好きで、よく読んでいたから、「たましい」という言葉になじみはあった。だが、それは言葉として、だったのだ。

『苦海浄土』のどのページの言葉も、彼女が水俣病の人々の苦しみを受け取って書いたものだ(「受け取った」のであって、「寄り添った」のではないと言いたい)。その苦しみの中に、そして海に生きる喜びの中に、魂がありありとあった。石牟礼道子は『神々の村』の一節にこう書く。「水俣病事件は、わたしにとっては<わたくしごと>の一部にすぎない」。

わたしのこと、だったからこそ、魂を感受した。「一部にすぎない」とは、「わたくしのペンは彼女ら(自らも家族も水俣病に苦しんだ婆さまたち)の深い吐息や夜半の涙のひとつぶの純度にもおよびつかない」という謙虚さからだろう。

土とコンクリートで埋め立てた海

水俣病資料館を出て、海辺に行った。もとはチッソの工場があった場所である。現在は埋め立てられ、サッカー場などのグラウンドがある。高校生を運んできたらしいバスが、駐車場に何台も並んでいた。海岸はコンクリートで完全に護岸され、小さな港がある。漁港なのだろうか。釣竿を持った人がちらほらいる。

土とコンクリートで毒を埋めた、のっぺりとした風景の中で、海に向かって石の地蔵が何体か置かれていた。魂はこの風景のどこかに、漂っているだろうか。

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