1本の缶チューハイから

私が愛したお酒たち
記事を書いていたら急に飲みたくなったので、買ってきた。

今回の参院選の選挙期間中、私は初めてツイッターでいろいろな情報にアクセスした。それというのも、新聞やテレビがあまりに報じなかったためである。念のため、過去2回の参院選と1回の衆院選のテレビ欄(朝日新聞)を図書館で確認したが、これほど選挙報道が少ないことはなかった。

過去には選挙期間中にNHKでもっと討論番組があった。毎回違うテーマを設定して取り上げた民放のニュース番組、池上彰さんの特番もあった。だから、今回は実に異様な「政権忖度選挙」だったのである。映画「新聞記者」を地で行っている感じだった。

さて、ツイッターで知ったのだと思うが、れいわ新選組の山本太郎さんのこんな言葉が、今回一番記憶に残った。「街頭演説が終わった後、私と同じ就職氷河期世代の男性が近づいてきて、今日飲もうと思っていた缶チューハイをカバンから出して、私にくれたんですよ。寄付するお金がないから、せめてこれだけでも飲んでくれと。これは重かった」

缶チューハイは、その男性にとって1日の仕事の疲れをいやす、ささやかな楽しみだったはずだ。でも、彼はそれを犠牲にした。その「犠牲」こそ、「信託」である。山本太郎さんが「これは重かった」と言ったのは、信託の重さ、託された側の責任の重さだった。

有力政治家が資金を集めるためのパーティ券は、1枚2万円と聞いたことがある。大企業はそれを10枚単位で買うらしい。法人として買うので、個人としての痛みはない。だから政治家も、その重さを感じなくて済む。缶チューハイはたかだか1本200円かもしれないが、それを託された側はとてつもなく大きな責任を負う。それが政治家の行動を決めるのだと思う。

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