今日は父の日、なつかしの浦霞

私が愛したお酒たち

父の誕生日に浦霞

今日は父の日。そして昨日6月15日は、私の父の誕生日だった。父は7年前の春、あの世に旅立った。母はもう四半世紀も前に、この世を去っている。

がんを患っていた父の最期の朝のことを、今でも時々思い出す。私は介護のまねごとをし、父のベッドの傍らに布団を敷いて寝ていた。明け方、「胸が苦しい」と言い出し、私はすぐに救急車を呼んだ。救急隊員が到着するまでの間、私は父の手を握っていた。すると、父は苦しい息の下で、「ビールが飲みてぇ」と言ったのである。いくらなんでもそれはやめた方がいいと思い、水を飲ませた。私が唇に吸いさしを近づけると、父はわずかに水を吸った。

やがて救急隊員が来てくれて、父の脈拍をはかると、ストレッチャーに載せて父の主治医がいる病院に搬送した。私と高校生の息子も、車で病院に行き、しばらく父のそばにいた。酸素マスクを付けた父は容態が安定して見えたので、私は入院の準備をするために一度自宅に戻った。が、その間に危篤になり、私が呼び戻された時には、ほとんど臨終に近かった。あまり苦しまなかったことだけが、救いだった。

末期の酒を飲ませていれば

私は大学入学とともに実家を出、アパート暮らしを始めた。それ以来20年くらい、あまり父と交渉がなかった。どちらかというと、避けていたのかもしれない。しかし、母が死んで数年後、73歳で同居が始まると、父はさまざまな形で私を助けてくれた。住み慣れた東京を離れ、北海道で過ごした人生最後の10年間を、父は近所の碁仲間や孫、犬とともに楽しんで暮らしたと思う。

30年近くも前のことだが、父と二人で、父と母が出会った街・仙台を旅したことがある。1日タクシーをチャーターし、母の両親の墓参りや名所めぐりをした。夜、牛タンの店に入った。
「ああ、浦霞か、なつかしいなあ」
そう言いながら、父はうれしそうに飲んだ。
「よくおじいちゃん(母の父)と、この酒を飲んだものだよ」

昨日、久しぶりに浦霞が飲みたくなり、買いに行った。一番スタンダードな純米酒である。
鹽竈(しおがま)の浦の松風霞むなり八十島かけて春や立つらん
と、源実朝の歌が書かれている。もう何十年と変わらないラベルだ。この歌から酒の名前を付けたとは、優雅なことだと思う。
 それにしても、父に末期の酒を飲ませなかったのは、今でも悔やまれる。

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