予期せぬ再会 unexpected reunion

酒場物語
ある晩、ぼんてんで飲んだ飛露喜とたっぶりのホヤ。

ぼんてんファンが一人増えた

以前、札幌駅の南口で路上ライブをやっている女性の歌を聞き終わって、その時に出会った男性と飲んだという話を「路上ライブの夜に」というタイトルで書いたことがあった。その男性、Mさんとはその後、一度メールをやり取りしただけだったが、毎週私のブログをお知らせしていた。

先日、師匠と二人で二軒目に、例によってゼロ番地の「ぼんてん」へ行った。すると、カウンターの隅の席に、見知った顔がいるではないか。そう、Mさんだった。彼を見た瞬間、私は「あれ、よく似た人がいる。でも、人違いだよなあ」と思ったのだが、Mさんは「ブログを読んで来たくなって」と言うではないか。しかも、土曜の夜、彼は昨日に続いて連続で来ていたのだ。どうやら、前夜は会社の人と来て、今夜は一人らしい。ぼんてんファンが一人増えた。

偶然に対する美の感覚

当然、女将も喜んでくれている。その晩、もう店じまいに近い時間だったので、私の隣に座り、一緒にビールを飲んだ。妙にやさしかったような気がする。いつもの土曜のアルバイトの女性もいたので、「ハグしたいのは、あなたの方なんだと書いてしまった」と言ったら、艶然と微笑み、「ダメよ」と言われてしまった。ま、当然である。Mさんが来てくれたのだから、私は男にはモテるのだと、自分を慰めることにした。

その晩、Mさんは「初対面の人と、あんなに自分のことを話したのは、もちろん初めてでした」と言っていた。私も、たぶんそうだ。でも、そうなったのは、路上ライブという音楽があり、その女性に自分の娘を重ねてみたり(私は少し感傷的になっていた)、Mさんと年が近かったり、と様々な要素があったからに違いない。そして、それらの要素はすべて偶然が重なって生まれたものだ。その偶然をどのように感知するか、いわば偶然に対する美の感覚のありようが、運命を左右する。Mさんが「ぼんてん」に現れたのは、もはや偶然ではないのだから。ただ、もしMさんが50代の男性ではなく、妙齢の美女だったら、私の人生はあの9月の夜から大きく変わっていたかもしれない、と思わないでもないけれど。

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