パリのイボンヌ(ススキノ・勝のやきとりにて)

酒場物語

モテる男の話

いつもの店というのは、店主との呼吸が大事だ。その点、私が師匠に連れられて通うようになったススキノの「勝のやきとり」の客席はカウンターの8席のみ。客はみな、店主の勝さんと相対して、語り合う。勝さんは俳優なので、しばしば会話がそのまま落語の演目みたいになってしまう。

師匠の十八番は「パリのイボンヌ」である。常連客はみな、一度や二度はこの小咄を聞いているが、たまに初めての客がいると、常連さんの協力のもと、上演とあいなる。初めての客が勝さんとの会話に慣れてきたころ合いで、だいたいは、こんな感じで始まる。 

師匠「お客さん、この店が初めてだから知らないと思うけれど、マスターは昔、船乗りだったんですよ」
勝さん「まあね。世界を股にかけていたなあ」
常連A「だから、今でもマドラス帽が似合うのかあ」
師匠「港、港に女ありってやつさ。ずいぶんモテたらしい」
( 勝さん、にやりと笑って語らず)
師匠(指を一本ずつ折りながら)「なんたってパリのイボンヌだろ、ロシアのナターシャだろ、釧路のトメだろ…」

この話、何度聞いてもおかしいのである。このやりとりを聞くたびに、私は陶然となってしまう。まるで、子供が父親や母親に、童話か昔話を「もう一回読んで」とねだる時のような、甘い気持ち。ミラン・クンデラの小説『存在の耐えられない軽さ』の、こんな一節を思い出す。
「幸福とは繰り返しへの憧れである」。

ところでこの小咄、だんだんと勝さんが師匠を船乗りとして客に紹介するという、主客ところを変えたストーリーになった。まあ、師匠は本当にモテるのだが。

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