日々のかけら

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知事公館でお花見を

今年は花見をしようではないか。師匠の言葉に賛同し、4月の最終日、我々4人は正午に知事公館の中庭に到着した。うららかな陽光に芝は輝き、梅も桜もいい具合に咲いている。こんな素晴らしい春の一日があるのだから、人生は愛するに足りると言うべきだ。
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百均のスリーセブン

「お待たせしました。次にお待ちの方、どうぞ」私の前の女性、そして私がそのレジに並ぶ。前の女性はちょっと動作が遅く、なかなか支払いが終わらない。レジの女性が少しイライラしているのがわかる。彼女は中年以上のスタッフが多いこの店で、例外的に若い。
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映画「ヨコハマメリー」を観た

メリーさんは娼婦である。米軍将校のステディだった時期もあったらしい。1995年に彼女が姿を消したあと、監督が彼女の消息を尋ねていく中で、出会った人々の証言をつないでいくドキュメンタリーである。その中にはメリーさんを助けようとした人々もいた。
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女性はなぜ、うれしいとペンギン化するのか?

前から歩いてくる若い女性が、ニコニコしながら両腕をパタパタ上下させている。ちょうどペンギンが歩く時のように。彼女とすれ違ってから数秒して振り向くと、外国人の男性とハグしていた。女性のペンギン化現象を目撃した私は、次のような推論をした。
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不滅の刃(髭剃り用)が欲しい

私は髭が似合わない。少し生やしてみたこともあるが、野性味がまったく備わらなかったため、諦めた。もともと中身に野性味がないのだから、表に現れようがないのだ。だから、毎日、髭を剃る。ただでさえ見苦しいのに、剃らないとさらに見苦しくなる。
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町で一番の美女

どんな美女にも傷は必ずある。腕であれ、心であれ。そのことに気づかないまま、相手の美しさに溺れるのも悪くはないが、それは若い時の恋だ。年をとればとるほど、傷に目がいってしまう。
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59歳にしか見えません

人生には、「ついうっかり、失礼なことを言ってしまった」ということが、たまに起きる。私自身の過去を振り返ってみても、苦い思い出がある。しかし、窮地に陥った時の師匠の反射神経と言うか、切り抜け方と言うか、返し技のキレ味は実に見事である。
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どこへ出しても恥ずかしい人

友川カズキ主演のドキュメンタリー映画「どこへ出しても恥ずかしい人」で、彼は言う。「生まれたときから、途方に暮れているんだよ」。「人間、下には下がある」。競輪場に通い詰め、奇跡的に大穴を当てると、全身全霊で喜ぶ。この人は現代に生きる狩猟民だ。
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ゆく川の流れは絶えずして

師匠曰く「加藤周一の『日本文学史序説』にいい指摘がある。鴨長明の『方丈記』は疫病や貧困が蔓延する中世末期に書かれた。悲惨な世の中の有様を、冷静にじっと観察し続けた成果というんだな。鴨長明の生きた世は、今の日本そのものではないか。」
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遠くへ行けない

窓から入る光線がやわらかく、古い木の棚に置かれた陶器が、静かに出番を待っている風情が何ともいい。器の色合いや質感に温かみがあり、これはうれしい出会いだと直感した。「お茶でもどうぞ」と言ってくださり、居間でコーヒーをご馳走になった。
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