町で一番の美女

黄葉した北大の銀杏並木。2020.10.25 日々のかけら
黄葉した北大の銀杏並木。2020.10.25

銀幕のスターなみ

先日、目の覚めるような美人に会った。会ったというよりは、「見た」くらいだが。土曜の午後、近所のカフェでパスタを食べた、その店のスタッフである。目鼻立ちの端正なこと、スタイルのいいこと、そして落ち着きのある声と言葉遣い。年の頃は22,23歳か。古い言い方をすれば、銀幕のスターといってもいいような輝きを放っている。漆黒の髪と褐色の滑らかな肌は、ラテン系を思わせる。

私はテーブル席を取ったのだが、カウンターでひとり赤ワインを飲みながら食べていたご老人(70歳を超えたくらいの男性)の声が聞こえた。「お嬢さん、お名前は?」「…です」と彼女が答える。その名前から、やはり日本とスペイン(あるいはポルトガルかイタリア)のハーフではないかという推測が当たったと思う。ちなみにそのご老人、もう一人の日本人スタッフの女性(彼女も素敵な雰囲気があるが)にも、そのあと名前を聞いていた。これが礼儀というものである。やはり年の功というものは見習うべきだ。

秋の夜長の妄想

その店の名前は、もちろんここには書かない。ただ、イタリアの街角にあってもおかしくないような洒落たつくりで、店の奥にはイタリア雑貨が置いてある、とヒントを残しておこう。さて、『町で一番の美女』と言えば、チャールズ・ブコウスキーの短編集。表題作「町で一番の美女」に登場する若い女性は、銀幕のスターとは別種の美しさを放っている。語り手の男は顔に傷があるのだが、その女性にも腕にやはり傷がある。リストカットの跡だろう。インディアンの血を引いていると推測させる描写もあった(ここまで書いてきて、記憶が正しいか不安になったので、本棚を探したのだが、あいにく見つからないので、違っていてもどうかご勘弁あれ)。

そう、どんな美女にも傷は必ずある。腕であれ、心であれ。そのことに気づかないまま、相手の美しさに溺れるのも悪くはないが、それは若い時の恋だ。年をとればとるほど、傷に目がいってしまう。そして悲しくなり、恋をあきらめてしまうのである。ま、カフェの美女が私に惚れてくれる奇跡は起こりようがないから、これは単なる言い訳、俗に言う「酸っぱい葡萄」の心理なのかもしれない。そんなことを思いつつ、ブコウスキーの小説から、相手の傷をわかって惚れる恋こそ大人の恋だと、納得したりしている(ちなみに小説の中では、語り手の男は彼女を口説いていないようだ)。秋の夜長はずいぶんいろいろなことを考えさせてくれる。

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