女の顔は請求書、あるいは愛の不良債権

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藤本義一の本

先日、師匠が「女の顔は請求書というセリフを作ったのは、誰だろう」と言っていたのを受けて、ネット検索したところ、藤本義一が同名のエッセイ集を出しているのを知った。買ってみると、奥付には1981年に出版されたとある(文庫版は1993年)。カバーには「女の虚栄心、女の可愛さ、女の生態の不思議さを鬼才・藤本義一が快刀乱麻に綴る異色の女性論」とある。それにしても、女という字を繰り返すなあ。

目次を見ると、「女の顔は」に続いて、借用書、身上書、請求書、献立表などという章が並んでいる。藤本先生、女性の振る舞いや心理を、上から目線で解説したり、たしなめたり。今だったら、とても怖くて書けない内容ではあるまいか。読み通そうと思ったのだが、早々に挫折してしまった。藤本先生、ゴメンナサイ。「女の顔は請求書」が、藤本先生の造語かどうかも未確認である。

愛の不良債権とは

私は女性に対して、ある種のうしろめたさを感じている。その感情を「愛の不良債権」とひそかに名付けているのだが、つまるところ「貫けなかった己のダメさ」の自覚である。はい、愛に殉じることができなかった過去があります。

女の顔が請求書に見えるのは、「愛の不良債権」に追われたことのある男である。しかし、女たちは実際には非常にやさしい。男のそんな臆病な気持ちを察して、悲しげに微笑んで去っていく。手切れ金を要求されるのは、よほどダメな男である。

そんなことを考えていたら、「女房と別れるために弁護士に相談したら、たった一言、いくら払えますか、と言われた」という師匠の逸話を思い出した。師匠は愛の不良債権を完済したのだと思う。

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