己のこころを彫る(安田侃彫刻美術館 アルテピアッツァ美唄)

旅のかけら

穏やかな語り口

私は幸運なことに、これまでの人生で、偉大な芸術家に二人もお会いすることができた。一人はこのブログに書いた流政之先生(流さんの一周忌)。もう一人が、安田侃先生である。安田先生に初めてお会いしたのは、12年ほど前のことだったと思う。日経新聞の依頼で記事を書いたのだが、その取材が実に楽しいものだった。

世界的な彫刻家は、私の拙い質問に大変穏やかな語り口で答えてくれた。廃校を活用した「安田侃彫刻美術館 アルテピアッツァ美唄」の敷地を歩きながら、作品や芸術とは関係のないことも、たくさんお話しいただいた。たとえば、「若い時、イタリアで3Aの野球の試合に出て、ヒットを打ってね。選手にならないかと誘われたんですよ。あの時、もし選手になっていたら」などということを、いとも楽しげに、軽やかに。あるいはやんごとなき方々を、このアルテピアッツァにご案内したときの裏話。あの時の記事をどうまとめたのか、まったく記憶にないが、たぶん先生も喜んでくださったに違いない。

もう10年ほど前のことだが、私はその後、アルテピアッツァで開催される「こころを彫る授業」に参加するようになった。2回ほど、安田先生直々に指導を受けている。作品の出来とは無関係に、もう有頂天である。当時は酔っ払うと、「流政之と安田侃、この二人の巨匠の薫陶を受けたのは、世界広しといえども、オレ一人だ」などと豪語していた。不遜の極みである。

安田侃先生の指導が受けられる

大理石を前に、思うに任せないながら、ノミで少しずつ形を彫っていく。「こころを彫る授業」は、本当に自分と向き合う時間だ。それも、楽しい時間である。「何年かけてもいいのです」と、先生はおっしゃっていた。授業中、少し手伝ってくださり、その時に「これは実際よりも、大きく見えるね」と言っていただいた。たぶん、ほめられたのだと、自分では解釈している。

私の作品は2年がかりだったが、いまだに未完成である。それでも愛着があって、本棚にしまってあり、時々なでている。作品名は「私には片方だが、翼がある」。うーむ、57歳の男のセリフとはとても思えない、中学生の日記の一文のようだ。しかし、こんな赤面もののタイトルをつけてしまうのも、自分のこころのある面を象徴している(あるいは、象徴させたい)がゆえのことである。どうかご海容を願いたい。

今年は10月4日から3日間、安田先生に直接指導していただけるチャンスがある。興味のある方は「安田侃のこころを彫る授業」に、9月9日までにお申し込みを。

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