被災者を支援したのんべい横丁の人々
東日本大震災から8年が過ぎた今、静かに粘り強く被災地を支援し続けた人々のことを記したい。
私がその記事を目にしたのは、2011年の12月22日。朝日新聞の夕刊だった。見出しは「呑兵衛横丁 再興に乾杯」。岩手の釜石にある「呑兵衛横丁」が被災し、全壊したのだが、それを知った渋谷の「のんべい横丁」の飲食店主たちが、同じ名前のよしみだからと、義援金を集め、贈ったという記事だった。
この記事は頭の片隅に長く残った。渋谷と釜石、それぞれののんべい横丁とはどんな場所なのか、あるいは場所だったのか。
その後、2012年に一度、被災地にボランティアに出かけた。といっても、それは自分に何ができるのかを確かめるためで、ほとんど何もできなかったと言っていい。ボランティアの泊る施設で2日を過ごし、海岸で牡蠣をつるすロープの結び目を作る作業をしただけだった。そのボランティア団体では、がれきの撤去をはじめ様々な作業をするために、近隣のいくつもの地域にボランティアを派遣していた。当時は100人近い男性と50人近い女性が、それぞれの大部屋で寝泊まりしていたように思う。
ボランティアの人々の姿
その時に出会ったというか、少し話をした程度だが、震災直後にボランティアに入り、断続的に何度も訪れている60代のリタイア男性(滋賀の人だったろうか)や、ボランティア施設そのものの運営を担っている30代の女性(横浜の人だった)など、災地のために持続的に貢献している人々を知った。その人たちに感じる、控えめだが強い意志とエネルギーは、日常ではほとんど接することのない、尊敬すべきものに思われた。
私もこうした人々に倣って、1週間、あるいは1カ月単位で被災地に行けたらと思ったが、しがない雑文業の身ではそれもままならない。しかし、せめてそうした人たちのことを記録し、記憶したい。 そこで思い出したのが、渋谷ののんべい横丁だった。一度、行ってみよう。もっとも、訪れたのは、2014年の暮。震災からすでに3年半が過ぎていた。それらしても、何をやるにしてもぐずぐずした男だと自分のことを思う。
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